北 フ ラ ン ス
  2011年7月グローバル・ユースビューローの旅「ノルマンディー・ロワール紀行10日間」に参加。1994年以来
 17年振りのフランスです。前泊して成田空港からの出発。旅行者16名とツアーコンダクターの総勢17人の旅
 です。一番の期待はモン・サン・ミッシェル。日本人の行って見たい世界遺産2位(NHK投票ランキング)にランク
 されている場所です。そんなに人気のある地はどんな雰囲気の所であろうか楽しみでした。成田・パリ間はビジネス
 クラス往復です。
 それにしても、日本からの飛行機内も、パリからの飛行機内も外国人の少ないのにはやはり、福島第一
 原子力発電所の事故が影響しているようです(乗っていないも同然)。こんなに外国人が搭乗していない機内は
 初めての経験でした。日本航空機だったのも影響したかもしれません。そして日本人の旅行者も
 やや減っているようにも思えます。旅行最終日のパリは「パリ祭」で賑わい、軍事パレード一色で、街中が多くの
 観客や軍人と警察官だらけと言ったところでしたが、セーヌ河クルーズでは連帯飛行をする飛行機やヘリコプターが
 よく見え、思い出に残るクルーズとなりました。
 
ルーアン
ルーアンはセーヌ川を中心に広がった街で1431年ジャンヌダルクが火あぶりの刑にされた地でもあります。
またモネが連作で描いたことで名高い大聖堂があり、フランス有数の大都市で経済的に重要な街と言いわれています。
ちなみに、この街に滞在した日の夕食は歴史あるレストラン「クーロンヌ」と言うこの地では有名なレストランです。
ここで食事をした、古き良き時代のハリウッドスターや有名政治家などの写真が、壁一面に所狭しと貼ってありました。
知ってる有名人を探して楽しんだものです。
       

マルシェにある八百屋さん

ここでは、生活感のある
店先の品物が興味深く、
サクランボを添乗員さんが
買って、皆で分け合って
食べましたが、美味しい
ものでした。日本人は
マナーが良い。食べた
種は全てごみ袋に入れて
持ち帰りました。

ルーアン美術館

初期フランドル派、
イタリア、スペイン
フランスの17世紀から
18世紀にかけての
絵画が充実していて
ベラスケスやドラクロワの
作品など、印象派のコレ
クションが充実している。
ノートル・ダム大聖堂

モネの連作で有名。
13世紀から15世紀にかけて
建てられたフランス・ゴシック建築
最高建築物で、華麗な西正面の
フランボアイヤン・ゴシック様式の
装飾が有名。
尖塔は151mあり、フランスで
最高の高さです。
ジャンヌ・ダルク教会

ジャンヌダルクが火刑に
された広場に隣接した
場所に建つ教会。ジャンヌ・
ダルクを記念して建て
られ、外観はモダンで
内部はステンドグラスの
美しい
静かな雰囲気の教会。
    
ジヴェルニー
 
 画家クロード・モネがこの地を気に入って長く移り住み
 居を構え庭を手入れして睡蓮の絵を描いた所として
 観光地化している所です。睡蓮の咲く池と博物館となっている
 アトリエがあります。このアトリエには、驚くほどの数の
 浮世絵が展示されています。日本の浮世絵に感嘆・共鳴し
 所持していた物のようです。そして、これにそっくりな公園が
 高知県北川村にあり3度ほどいった事がありますが、小規模
 ですが本家にそっくりです。またそこに咲く睡蓮の株は、本家
 ここから株分けされたもので、モネが挑戦して咲かせる事が
 出来なかったというブルーの睡蓮も咲かせる事に成功して
 います。そんなせいか感激は無く、何度も来た事がある
 ような感じでした。花が綺麗に咲いていますが、6月だと
 もっと多く咲いていたと言います。
    
ノルマンディー地方をドライヴしながらの観光。 @は昼食を食べたレストラン「ムーラン・ド・フォルジュ」
静かな場所に花と水車が美しく素敵な場所でしたが、このレストランのノルマンディー料理は私は好み
ませんでした。   ちなみに「ムーラン・ド・フォルジュ」の名の意味は、「鍛冶屋の水車」の意味。__
A 途中立ち寄った遺跡「ジュミエージュ修道院」はフランスで最も感嘆すべき廃墟と 言われている
場所だそうです。B エトルタの街に立つ家。 ベランダや家の階が上に行くに従って外にはみ出して
いる不思議な家です。この地方に多く見られました。C エトルタ他の海岸にある像の形に見える岩の
ある海岸。  観光地らしく美しく咲いた花と街並みと海岸が印象に残る場所でした。  この岩の上を
歩いてみました。 なかなかのものです。      本来はもっと歩けるはずなのにこの日、足の調子が
悪く思うように歩けず、疲れてしまい不満足に終わりましたが、気持ちの良い海岸散歩です。 海岸に
座って食べたお弁当も質素ながら美味しかったけど、日差しが強くサングラスは不可欠です。__ _ 
ちなみにこのエトルタの海岸、印象派の画家の多くがこの地を題材にした絵を描き残しています。__
 @
レストラン  ジュミエージュ修道院跡  エトルタの街 の家 エトルタの海岸
    
ドービルとオンフルール
ドービル

ドービルはサミットが
開催されたことから知る
ことになった街です。

リゾート地一色で素敵な
街でした。写真(下)は
ホテルに隣接した
カジノ。パスポートが
あれば、はいれるとか?
私達は街なかと海岸を
散歩してみました。
珍しい家々に感動します。
イギリスの家に似た物も
あり多種多様ですが、
屋根が重そう。地震がない
国でよかったですね。

エトルタからドービルの
途中ノルマンディー橋を
バスで渡って来ます。
四国と中国地方を結ぶ
「しまなみ海道」にかかる
多々良橋を大きくした
ような橋で、渡るとチョット
感動です。大きい橋は
人間に何か訴える物が
あります。こんな感じ
私だけかしら?
オンフルール

セーヌ川河口付近の
古い湊町。画家ブータンや
音楽家エリック・サティーの
生まれた地でもあります。
ドービルから一日旅行。
小さな港町なので半日
フリー・タイムでした。
ブータン美術館とサティー
博物館へ入館。
オンフルール名物の
クレープやガレット
オムレツ等を昼食で食して
みましました。
「まあ こんなものかな?」
前回のフランスは個人旅行
だったのですが、この様な
湊町や海岸リゾート地では
毎晩こんな感じのレストランが
並ぶ海岸沿いのレストランに
出かけ、メニューを見ながら、
「どれを食べようか」と
楽しんだものです。記憶を
思い出して懐かしくなりました
この日は土曜日で市が
たっていて、賑わっていました
    
 
ブーヴロン・アン・オージュ

 シードル(りんごの葡萄酒)街道に位置する村で「フランスで最も美しい村」と言われて
 いるそうです。小さな村で素朴な田舎の村といった雰囲気。村の端から端まですぐの
 距離です。イギリスのコッツウォルズの小さな村に雰囲気が似ている。懐かしいような
 感覚があり、好きでした。田舎育ちのせいでしょうか?いまだに田舎の雰囲気は好きです。
 都会の喧騒は、気持ちをエキサイティングにしますが、田舎は母親の懐の感覚と言った
 落ち着く場所を連想します。癒しの場所?
 
 
 バイユー
   ここには珍しいタペストリー博物館があります。今まで色々な古いタペストリーを見ましたが
         こんなタペストリーは始めて見ました。幅50p長さ70mの布に8色の糸で刺しゅうを施したタペストリー
         です。そして歴史的事実に基ずいた物語が描かれています。イヤホーンガイドに従って見学する方法も
         初体験。続き絵になった紙芝居を見ているようです。
         またこの地にある13世紀ノルマン・ゴシック建築の大聖堂では、3人の赤ちゃんのバプテスマが
         行なわれていました。カトリック教会のようでしたが、バプテスマと書いてありました。
         
 
 
モン・サン・ミッシェル
早朝のモンサンミッシェル
(かもめが悠々と
散歩がてらの単独飛行)
ライト・アップされた
モン・サン・ミッシェル
高い位置にある中庭
荷物を釣り上げた
木製の滑車。男6人で、
回したと言います。
 モン・サン・ミッシェルは、長く行って観たい場所の一つでしたが、機会がなく伸び伸びになっていた場所です。
 この旅行を選択した理由にモン・サン・ミッシェルが見えるホテル「ルレ サン ミッシェル」に泊まるというのも魅力的で
 選択しました。後に載せますが、部屋の窓から真正面にモン・サン・ミッシェルが見え、メゾネット・スタイルの部屋に
 当たりました。レストランからも、遠くに凛とたたずんでいる修道院が見えます。夕方の佇まい、夜のライトアップされた
 修道院、朝焼けと霧に包まれたモン・サン・ミッシェルは幻想的です。人気の理由が良く理解できます。
 朝 出がけに、日本人の結婚式がこのホテルで行われると聞きました。前日会話した「個人旅行です。」と言っていた
 若いカップルであろうと想像しました。小さな幌の付いた馬車とお花で飾られたオープンカーが待機していました。
 「私の時代とは、大きく変わったなー」と感じたものです。印象深い結婚を幸せの拠点としてください。長年連れ添う
 のも良いものです。 修道院の中にも入って解説を聞きましたが、観光客の多さに人気の度合いがよく判ります。
 地元ヨーロッパの人々はゆっくりと干潟を歩いて近くの島まで、ガイド付きのツアーも楽しんでいます。若い頃の私たち
 なら体験したであろうツアーですが、中高年になると個人旅行はしんどくなり、こうした事を含む団体旅行は見かけ
 ません。残念!この修道院は8世紀天使ミカエルのお告げによって建てられたベネディクト派の修道院でフランスで
 もっとも有名な巡礼地だと言います。「来て 見て 良かった」という印象です。
 
ロワール古城めぐり 
シュノンソー城 クロ・リュセの館 アンボワーズ城 シャンボール城
       前回のフランス旅行は、周遊券での列車を利用した個人旅行でした。その時このロワール地方を組み込むか考え
       ましたが、外してしまいました。しかし お城は「ベルサイユ宮殿」「フォンテンブロー城」「シャンティー城」を観光しました。
       こうして他のお城を見て見るとやはり、フランスのお城はドイツやイギリス、スペインやイタリアとは異なった共通した
       雰囲気があります。外観に無駄を省いたシンプルなセンスの良さを感じてしまいます。外観は見て美しいのですが、
       フランス革命の時、家具や調度品を持ち去られたようで、中は伽藍堂同然の物が多いようです。豪華絢爛の城内も、
       見ては楽しいのですが、住むには豪華さが邪魔になりそうです。贅沢もころあいが素敵 なんて感じたりします。
 シュノンソー城は、 各所に生け花がセッティングされ管理の人々の観光客に対する気遣いが感じられました。
              日本の「おもてなし」の心がここにもあると感じたものです。
 クロ・リュセの館は、レオナルドダビンチの博物館で1490年シャルル8世が所有した事によりその妻アンがここに
              住みました。アンの招きで晩年レオナルド・ダヴィンチが死ぬまでの3年間ここに住んだ城です。
              アンボワーズ城から400mの位置にあるこの館には、レオナルド・ダヴィンチの発明の全貌が
              展示されています。
 アンボワーズ城は ロワール川を見下ろす高台に建つ大きなお城でした。お城のバルコニーからアンボワーズの
              街が美しく気持ちよい風景が広がっています。フランス建築では最初にルネッサンスの装飾を
              取り入れた建物だそうです。またこのお城とダヴィンチが住んだクロ・リュセの館とは地下道で
              つながっているといいます。かの名高いスコット・ランドの女王メアリー・スチアートはここで育って
              いるようです。お城の隣にはレオナルド・ダヴィンチが埋葬されているサン・ユベール教会が
              あります。
 シャンボール城は 古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れたフレンチ・ルネッサンス
              様式が特異なお城といわれています。建築上の見どころの一つに二重螺旋階段があります。
              レオナルド・ダヴィンチがこの城の設計に関与しているとも言われています。
              城の周りには広大な森が広がっていて、今でも狩猟が行なわれているそうですが、禁猟区には
              「あかしか」が生息していると言いいます。  
シャルトル 

 シャルトル大聖堂の裏付近を下った所にあるレストラン(ムーラン・ド・
 ポンソー)で昼食を済ませた後、裏階段から登って大聖堂へ。ここで
 皆で集合写真を撮り、思い出を一枚残しました。大聖堂は外側も
 内側も改装中で趣に欠けます。教会内は絢爛豪華なステンドグラスで
 荘厳な雰囲気でしたが、有名どころのステンドグラスは、修復中の
 矢倉に隠れて見えません。この日、この後パリに向かって移動予定
 でした。パリは次日「パリ祭」で前夜祭にあたるその日、添乗員さんが、
 パリ市内の交通事情を心配して、やや焦り気味でした。
 大聖堂を説明するガイドがおばちゃんで、説明が長い。 ツアー・
 コンダクターさんが焦った挙句「少し短くして下さい」と言ったところ、
 おばちゃんが大激怒。「私は20年ガイドをしている。まかせろ!」と
 大声でまくしたて、周りから白い目で見られる事になりました。
 「ややこしい人に当たってしまいました。」といいながらご機嫌を静めて
 もらって終了。「やれやれ」でしたが、日本人優しい。最後は皆で
 大きな拍手をして褒め称え別れましたが、おばちゃんちょっと
 ばつ悪そうでした。まあ一つの思い出でした。
 ちなみにレストランでよく使われている「ムーラン」。このフランス語の
 意味は「水車または風車」だそうです。フランス人は水車がお好きな
 様です。パリ市内にある「ムーラン・ルージュ」というキャバレーは
 「赤い風車」という意味だといいます。私達が食事をしたムーランの
 名前が付いた二つのレストランは川のそばにあり、水車が家に
 付いていて気持ちの良い場所にありました。「ムーラン」の付いた
 『レストラン』2つめの「ムーラン・ド・ポンソー」のポンソーはひなげし
 の意味。「ひなげしの咲く水車」とでも 勝手に訳してみました。
 パリ

17年振りのパリです。次日が「パリ祭」のためか交通渋滞も少しありましたが、心配したほどではなくスムーズでした。
凱旋門に通ずるシャンゼリーゼ通りには、フランス国旗三色旗が飾られ、以前散歩したシャンゼリーゼとはおおいに
異なる。バスの中から写真を一枚記念に撮りました。ホテルのフロントも混雑していて、なかなか部屋が決まりません。
待っている間ロビーの椅子に座っていると向かいに座っている外国人の女性が、大金を数えはじめた。その上カバンや
バッグを置いたまま席を立ってしまった。あまりの無防備さに皆で驚いていると、戻って来たので「何処から来たの?」と
話しかけてみた。聞くところによるとサウジアラビアから来たらしい。そしてエジプト人だと言っている様でもある。
仲間と「なるほどオイルマネーの金持ちなんだ」なんて日本語で話しあったけど、オイルマネーだけ理解して、何を
話しいるのか分からなかったでしょう。しかし金持ちと評価しているだろう事は理解してまんざらでもなさそうでした。
泊まったホテル「インターコンチネンタル・パリ・ル・グラン」はとても大きく、自分の部屋を見つけるにも一苦労です。
後で迷うのではないかと心配でしたが、案外迷わず快適。ただトイレの壁がガラスで外側から丸見え。反対側には
窓はなく心配ないにもかかわらず、なんだか落ち着きません。妙な気分で慣れる事はありませんでした。
次の日は約半日強のフリータイム。各各にしたい観光に出ました。私達はセーヌ川クルーズ。以前パリに約1週間滞在
したにもかかわらず、クルーズをしていなかったので選択。一部の人と連れ立って船着き場へ。クルーズは大当たり。
「パリ祭」の連帯飛行の様子が良く見える。写真を数枚。良く撮れていました。帰りはグループから離れて歩いて
ホテルまで。しかしお祭りの為、人にも一方通行が強いられていて、なかなか反対側に渡れず余分な距離を歩くことと
なりました。途中軍事パレードにも出会いました。人だかりで上部のみしか見えません。身長が低いだけではなく
背の高いフラン人も大きな脚立を用意して見学したり、木に登ったり、高い塀の上に座ったりです。警官や軍人も
其々の制服を着て総動員と言った所で街中に散らばっています。国民に愛想を振りまいていて、一緒に写真を
撮ったりです。ホテル近くのオペラ座前広場には、5台くらいの戦車がやって来て、戦車の上に乗って軍人と写真を
撮って楽しんでいました。戦争しない軍隊は、怖くないものですね。和気あいあいですが、疑問も生じます。
無事ホテル近くまでたどり着き、ホテル近くのレストランでで昼食を・・・。ピッツァとメロンと生ハムを注文。
これもまた大当たり。でも写真を撮るのを忘れて、後でがっかりしました。写真魔の私とした事が大失敗でしたが、
美味しかった。好い一日です。満足。この日のパリは交通規制や色々な博物館・美術館が休館で、タクシーも
走れない所が多く、断られる事がほとんどです。観光客には、不便な一日でした。軍事パレードお目当てなら
楽しいのかも?15時30分帰途につきましたが、シャルル・ドゴール空港で爆発物騒ぎで長く外で待たされました。
忘れ物は全て異物として判断され、厳重に調べられるそうです。(爆発物検査など・・。)ただの忘れものと判明し、
無事飛行機に搭乗し成田へ。10日間の旅の終了です。
 
シャンゼリー通り クルーズ発着場 三色飛行雲連帯飛行 軍人
 
楽しんだ食事
鱈の燻製
モンサンミッシェル風オムレツ
(卵を泡立てて焼いたオムレツ
大量に盛ってもらってもぺロリです)
ポーク・テンダーロインステーキ
(このホテルの食器は可愛かった)
メロンwith生ハム
(ドービルで食した物)
 
 
泊まったホテル
 
 
 ブールトゥルールド
(ルーアン)
ルーアンで最も歴史的な
建物を改装したホテル。
 ノルマンディー
(ドービル)
ノルマン海岸沿いの
瀟洒なホテル。
ルレ・サン・ミッシェル
(モン・サン・ミッシェル)
モンサンミッシェルが
部屋から見え朝・夕
幻想的な修道院が
素敵。メゾネット部屋。 
 プリウレ・ソミュール
((ロワール)
中世の修道院を
ホテルにしたもので
(上は私達の部屋
下はお隣の部屋)
全て異なった部屋です。
インターコンチネンタル・
パリ・ル・グラン
(パリ) 
豪華ホテル。快適。
オペラ座のすぐ近く。